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考えた。つくづく親を越えるハードルの高さ。 僕の夢目標のうち一番だいじなものは両親に 金銭を過剰供給してあたふたさせることです。

配信時刻:2024-03-27 22:30:00

最近つくづく思うのは
「経営者マジリスペクト」
です。

創業者がお金を全額出して立ち上げた会社

僕の両親は経営者だったんですよね…

億のお金を動かして
やりたいこと全て
自分たちの責任で

「経営者」になって
全てやり通してきた。

結局は僕の両親は今何も財産も無く
僕が借りている借家に住んでいます。

僕はここ2年間池袋で1人で出てきて
仕事を頂き携わらせている中で
改めて
自分の両親が
すごいヤツらなのかを実感することが多くなっています。

以下は僕の両親の話です。

20代で
京都の三条の繁華街
木屋町にテナントに貸す
ビルを億のお金を使って建てて

そのビルの1階に店鋪を構え
イタリアンレストランを経営。

子供(僕)が生まれるのを期に
一旦レストランを閉め

新天地の近くに東京ドーム23個分の広さを誇る
太陽が丘というサッカー場から陸上競技場からプールから…
ありとあらゆる施設がある運動公園がある
新興住宅街で
店舗付き住宅を購入して

再び夢の続き、イタリアンレストランを始める。

さらにさらに
やりたいこと!!!実現!
母親は流行っている
ファストフード店に憧れを持ち
思い切って個人経営のハンバーガーやアイスクリームを売る店鋪を
レストランの駐車場を改装してオープンする。

つぎは父親が趣味のブラックバス釣りを仕事にしたい!!と

イタリアンレストランも
ファストフード店も閉めて

次は
日本一の湖であり
ブラックバス釣りのメッカである
琵琶湖にほど近い
京都市山科区に
またまた
店舗付き住宅を買って
釣具屋を始める。

始めはフランチャイズ経営のようなものであったが
ほどなく独立して
自分達の店にする。

そして父親は
ブラックバス釣りの大会に出まくって
準優勝、優勝と戦績を残し
プロのブラックバス釣りとして
テレビに出たこともある。

そこで
転機。
ボートの輸入販売業が失敗して
店を手放すことになり
大きな負債を抱えて
近所の賃貸マンションに引っ越し

両親で必死に負債を解消すべく
ありとあらゆる職業に就き
頑張る!!!!
母親はより収入が多い職業を!と求め続け
転職を繰り返して
ついには履歴書に書ききれないほど多くの職歴がつくようになり。

父親はとにかく体力で稼ぐために
米の配達や大きな植木鉢を配達する仕事や
深夜のタクシー運転手になったりもしていた。

さすがに両親共
全力を出して生きていたので
家庭内で夫婦喧嘩もたくさんあった。

そんなこんなで

僕が高校を卒業する前ぐらいには
負債を返済し

また!!!!どうしても
自分たちで店をやりたいと

あの頃の夢をもう一度叶えようと

とある
知り合いのツテから
もう閉めて手放そうとされている
個人経営のお弁当屋さんを引き継いで
また
経営者となる。


そしてこのお店も
長くは持たずに閉店…

新たな負債を作り
職を探す。

そして見つけた
とある大企業の滋賀県の社員寮の
寮母さん(管理人)となる。

家賃はゼロになり
社員寮の食堂で
朝ご飯と晩ごはんの献立を毎日考え
仕入れて料理するという


そこでも両親はやっぱり
自分たちの店を意地でも持つという
経営者気質はかわらなかった。

そこから十数年。

両親はその社員寮の寮母さんも引退して

僕が働いていた
前職の会社の近くの借家を
僕が借りて
両親と三人で住んでいました。

その時母親が言っていた言葉が印象的です。

「わたしらはやりたいことはもう全部やってきたから
いつ死んでも後悔はないわ」

今度は僕が2年前急に
「池袋行ってくる」っていって
特に相談もせずに

いきなり飛び出した時そこまで
この両親の生き様に尊敬を出来ていなかった。

むしろ

自分は両親の被害者だ!なんて
ことまでおもってたことがもう10代の頃ぐらいから
僕は思ってしまっていた。
親の返済を助ける為に高校出たてなのに
クレジットカードを申請して作ってキャッシングしたりしたことも
あったし。

でもちがった。


よく思い返してみる。


なぜ釣具屋で大失敗して全て手放さざるを得なかった状況で
近所の目もあるのに
その手放した店のすぐそばのマンションに引っ越したのか。

それは
僕が
「学校変わりたくない!!友達と離れたくない!!」と
言ったからだ。

僕の為に両親は後ろ指さされる覚悟で
僕の小学校の学区内でマンションを探して
住んでくれた。

僕が中学2年生の時に
急性腎炎という自覚症状も全く無いのに
慢性化させない為に
約半年間一歩もベッドから出て
歩いては行けないという
鬼縛り入院をさせられた時も

両親はもう仕事終わりに毎日
病院に来てくれた。

その時両親は決して楽な仕事なんかしておらず
毎日疲れていた。

でも
14歳の僕はギリギリ小児科扱いで
周りは小さい子供ばかりが入院していて
部屋の中心にあるテレビは毎日
NHK教育番組しか流れていない
大部屋に入院していた。

個室に入院させてあげられなくて
ごめん…という想いがあったのだと思う。

毎日毎日疲れていても僕のベッドの横に
来てくれた。

退院してから
僕も
学費が安い公立高校の受験に合格できるように
勉強も頑張り公立高校に進学しました。

それからやっとのことで
経営者として失敗した負債を
必死に
全力で
しかも僕のことを最優先にしてくれながら
育て上げてくれて

高校にも進学させてくれて
学費全部だしてくれて。

それでも僕が大学行きたいとか
デザインの専門学校行きたいとか言っても

頭ごなしに「無理!」とかは決して言わずに
いつも出来る方法ばかり考えてくれていた。

僕は高卒で自由に自分の可能性を探すことにしたのですが。

そこからでもまだ

両親は弁当屋さんを経営するという
飲食店の経営者になる夢を捨てずに

挑戦した!!!!

Challengeしかしていない両親です。

しかも僕のことを一番大事に考えて
動いてくれている。



なにが自分は被害者だ!!

僕はひどかったな。

今僕は敬意をもって
「経営者」を全て全うし
成功こそしなかったのですが
失敗の負債をゼロに戻し

「もう限界…」っていいうところまで
働いていた両親の凄さというか

リスペクト出来るようになりました。

こんなふうに
両親をリスペクトできるようになれたのは
全て鴨さんのおかげです。

鴨さんの近くにいさせていただき
経営者の背中をみせていただき
勉強させてもらい
鴨さんの周りにおられる偉大な経営者の方々のこと
を観たりしていると

いかに両親が偉大な人物達であったか
つくづく気付かされます。

だから

今は両親は滋賀県の借家に住んでいて
かんたんなアルバイトなんかをしながら
生活していますが

せめて
僕は
偉大な挑戦者である両親へのご褒美として

僕がもっともっとお金を稼げるようになって

もう両親が
「かんにんして!!!もうこんなにいっぱいお金使いきれん!!!!」っていうぐらい
お金を過剰供給して

ガンガン好き勝手使いたいだけ使わせて

人生で一番
経営者として成功した

「僕という息子を育てる」という
事業で

大成功を収めさせたいのです。


これだけリスクを取って
自分に正直に貫き通した人生を送った
両親が幸せになれないわけがないのです。

ヒーヒー言うぐらい両親に
お金を使わせてやります。

ありがとうございます!
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::::::::::モリシ プロフィール::::::::::

鴨頭嘉人メイン、サブ、shortsチャンネル。蝶と結婚した男!林太郎物語りを作成管理するクリエイター。鴨頭嘉人とチョウタロウを世に広めることで自由で良い世界を広める世界一の天才グラフィックデザイナーです。

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