津田紘彰の【ひろメ~ル ‐心に小さな火を灯す‐ 】 - バックナンバー

【緊急号外】心臓疾患

配信時刻:2022-01-05 07:00:00

『お子さんは心臓に疾患があるかもしれません…』


我が家の長男は出産予定1ヶ月前にそう告げられました。

 

 

 

 

そっか、そういうこともあるよな、

 

大丈夫、みんなで守っていくから。

 

家族で幸せになろ。

 

 

 

 

そう妻と話し合っていた3日後の朝、突如息子の心音が下がったのを偶然看護師さんが見つけて下さり、緊急帝王切開。

 

1800g、片手に収まるほど小さな体で、保育器の中で眠る長男を初めて見た時、

 

何か言葉では言い表せない、身体が震え叫び出したくなるような激情が突き上がってきました。

 

この子のためにも、頑張らなくては…

 

それが2012年2月。

 

 

 

当時の私のステータスは、東日本大震災の翌日にサラリーマンを辞めて被災地に飛び、

 

その後は3ヶ月に一度東北に通いながら昼は障がい者施設、夜はイオンの飲食店でアルバイトをする、

 

ただの『自称講演家』

 

 

 

 

日本全体がまだ震災から一年で元気がなく、私も精神的、経済的に一番ボロボロだった時に生まれてきてくれたのが長男でした。

 

 

 

 

 

あれから10年の時が経ち、

 

今長男は何の疾患もなく元気に走り回っています。

 

その姿を見て、

 

 

 

 


もし、心臓に疾患があるかもとお医者さんが言って下さって妻が入院していなかったら?


あの時看護師さんが息子の心音が下がっているのを見つけてくれていなかったら?


日本がもっと医療の遅れた国で、優れた保育器やNICU(乳児のための集中治療室)が無かったら?


いずれかのボタンがかけ違っていたら、息子の命は無かったかもしれない。

 

 

 

 


と、今もふと思うことがあります。

 

 

 

 

昨日、ご縁があって出会えた「ゆうちゃん」という少年は息子と同い年で、

 

心臓に拘縮性の疾患があり、米国で手術を受ける以外に助かる道は無い、と聞きました。

 

 

 


遊びたい、沢山の人に出会いたい、

生きたい…

 

 

 

 


そんな、少年の切なる思いをお母様から聞いて、


何か私たちにできることはないかと走り始めました。

 

 

 

 

私が大震災直後の神戸や新潟、東北の地に足を運ぶたびに思い知らされたのは、


『あまりの自分の無力さ』でした。


何も役に立てなかった、


今回も、何もして来れなかった…


行くたびにそんな思いになるのが怖くて、何度、もうやめようと思ったか。

 

でもやっぱり、被災地で出会った人たちの笑顔にまた会いたくて、足を運んでしまう。

 

行かなきゃ、ではなく、行きたいから。

 

『また三か月後に来るよ!』と約束したから。

 

 

 

 

 

 


今回も、出会った以上、力になれなければ必ず後悔する。

 


大好きなゆうちゃんを助けられなかったら、間違いなく一生後悔が残る。

 

 

助けてあげたい、とかではなくゆうちゃんに会いたいから。

 

 

応援したいから。

 

 

 

 

ただ、それだけなんです。

 

 

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『微力だけど、無力じゃない』


私が被災地で学んだこの言葉を支えに、一人でも多くのサポーターを募集しています。


ご賛同頂ける方は下記グループにぜひ入って下さい。

 

https://line.me/ti/g2/l6S9gKwjbcYDdtO3ImLs1M4bc5Nv7fCEruHD_Q?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default&fbclid=IwAR1DPIWiTy-VNJzjM5qQOnLoP9LnFVhPeJJM_biJDlkcCK07OsdXrn3Vs5A

 

 

 

 


どうか可能な限り寄付もお願いできたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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心からお願いいたします。