津田紘彰の【ひろメ~ル ‐心に小さな火を灯す‐ 】 - バックナンバー

日本人が誰も知らない『エルトゥールル』

配信時刻:2017-04-17 07:00:00

津田ひろあきです。

◯◯◯さん、

おはようございます(^^♪

________________

今日は多くの日本人が知らない、

日本とトルコの

120年の時を超えた

真実の物語

をお伝えします……!!

……………………………☆★…

 ▼  ▼  ▼  ▼


明治23年9月16日。

猛烈な台風が大島を襲い、

 

波と風に煽られたトルコ船が

樫野崎灯台付近で大破。

 

遭難者を発見した灯台守は

樫野の村人に助けを求め、

必死の救助活動が始まる。

 

大島は和歌山県の南端にあり、

その東側に今も、

明治三年に出来た樫野崎灯台は立っている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

その夜、猛烈な台風が大島を襲った。

午後九時頃、凄まじい暴風雨の中、

海の方角から爆発音のような音がした。

 

この音の正体は、

台風で進退の自由を失った

一艘の木造軍艦。

 

全長七十六メートルもある船が、

板切れのように風と波の力で

灯台のほうに押し流され、

 

灯台のある断崖の下に突き出た

「魔の船甲羅」と呼ばれる岩場に激突した。

 

耳をつんざくような衝撃音と共に、

船は真っ二つに裂けた。

 

と同時にエンジン内に水が浸入。

大爆発が起こった。

 

乗務員は真っ黒な荒れ狂う海に放り出され、

波にさらわれ、

波に運ばれて岩に叩きつけられてゆく。

 

ある一人の水兵は海に放り出され、

大波に呑まれて岩にぶつかり、

意識を失って岩場に打ち上げられた。

 

 

「息子よ、起きなさい」

 

 

懐かしい母の声が

耳元で囁いているようだった。

 

 

「お母さん」

 

という自分の声で意識が戻った。

 

 

真っ暗な中で灯台の光が見えた。

 

「あそこに行けば人がいるに違いない…」

 

朦朧とする意識の中、

必死で四十メートルほどの崖をよじ登り

ようやく灯台に辿り着いたのだった。

 

 

灯台守はこの人を見て驚いた。

服はもぎ取られてほとんど裸同然。

顔からは大量の血が流れ、

全身は傷だらけ、

ところどころ真っ黒に腫れ上がっていた。

 

「あなたのお国はどこですか?」

 

「………」

 

言葉が通じなかった。

 

「万国信号音」を見せて

初めてこの遭難者がトルコ人であること、

船はトルコ軍艦であることが判明。

 

彼の必死の身振りで

多くの乗組員が海に投げ出された事がわかり、

 

「この乗組員たちを救うには人手が要る」

傷ついた水兵に応急手当をしながら灯台守はそう考えた。

 

「樫野村の人たちに応援を要請しよう」

 

彼は灯台から一番近い樫野村に向かって駆け出した。

電灯もない真っ暗な夜道、

人がやっと一人通れる道。

灯台守は村人たちに急を告げた。

 

 

灯台に戻ると十人ほどのトルコ人がいた。

全身に傷を負っている。

助けを求めて崖をよじ登ってきたのだった。

 

この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。

船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、

総出で岩場の海岸に下りた。

 

だんだん空が白んでくると

海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。

目を背けたくなる光景だった。

 

 

村の男達は泣いた。

遠い外国から来て、日本で死んでいく… 

胸が張り裂けそうになった。

 

「一人でも多く救ってあげたい!」

 

しかし打ち上げられた大多数のトルコ人乗組員は、

もう動くことはなかった。

 

一人の男が叫んだ。

 

「まだ息があるぞ!」

 

だが触ってみるとほとんど体温を感じない。

男達は自分も裸になって乗組員を抱き起こした。

自分の体温で彼らを温めはじめた。

 

「死ぬな!」

 

「元気を出せ!」

 

「生きるんだ!」

 

次々に乗組員の意識が戻った。

 

乗組員は約600名、救助されたのは69名。

この船の名はエルトゥールル号である。

 

 

助かった人々は樫野の小さな寺社と小学校に収容された。

 

当時の樫野村は電気や水道、

ガスはおろか井戸さえもなく、

水は雨水を溜めて利用する小さな集落だった。

 

各家庭では非常食として鶏を飼い、

村で取れるサツマイモやみかん、

漁をして取れた魚を対岸の町、

串本で売ってお米に換える貧しい生活だった。

 

このような村に69人もの外国人が収容されたのだ。

 

村人たちは生まれてはじめて見る外国人たちを助けてあげたいと

献身的に看病するがどんどん備えが無くなり、

ついに食料が尽きた。

台風で漁が出来なかったのである。

 

「もう食べさせてあげる物がない」

 

「どうしよう」

 

一人の婦人が言った。

 

「鶏が残っている」

 

「でもこれを食べてしまったら…」

 

「お天道様が守ってくださるよ」

 

女達はそういって最後に残った鶏を料理して

トルコの人たちに食べさせた。

 

こうして彼らは一命を取り留めたのだった。

 

 


また大島の人達は

トルコ人乗組員の遺体を引き上げて

丁重に葬った。

 

この話は当時の和歌山県知事に伝えられ、

そして明治天皇に言上された。

 

明治天皇は直ちに医者、看護婦を派遣され、

さらに礼を尽くし、

生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて

トルコに送還なされた。

 

このことは日本中に大きな衝撃を与え、

日本全国から弔慰金が寄せられ

トルコの遭難者家族に届けられた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから120年の時を経た、

イラン・イラク戦争時の1985年3月17日。

 

イラクのサダム・フセインは

「今から四十八時間後に

イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃墜する」

と世界に向けて発信した。

 

イラン在住の日本人が脱出のため空港に殺到するが、

どの便も満席。

 


日本以外の各国は直ぐに自国の救援機を出して

自国民の救出に向かうが、

当時の日本政府は素早い決定が出来ず、

空港に殺到した日本人達はパニック状態になっていた。

 

 

そこに、ある外国便二機が到着し、

速やかに日本人215名を乗せて

成田に向けて飛び立った。

 

 

タイムリミットの1時間15分前であった。

 

 

それはトルコ航空の飛行機だった。

 

 

何故トルコ航空機が危険を冒してまで救出に来てくれたのか、

当時の日本政府もマスコミも知る由もない。

 

 

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は

この件に関して次のように語った。

 

 

「エルトゥールル号の事故に際し、

大島の人達や日本人がしてくださった

献身的な救助活動を、

今もトルコの人達は忘れていません。

私も小学校のころ歴史教科で学びました。

 

トルコでは子供達でさえ

エルトゥールル号の事を知っています。

今の日本人が知らないだけです。

それで、テヘランで困っている

日本人を助けようと

トルコ航空機が飛んだのです」

……………………………☆★…

 ▼  ▼  ▼  ▼

 

120年の時を超えた、恩返しの物語。

日本人が誰も知らなかった真実です。

 

『いかなる時でも

人間のなさねばならぬことは、

世界の終焉が明日であっても、

今日良い種をまくことだ』

~ゲオルグ~

 

私たちに出来ることは、

未来を思いわずらうことではなく、

過去を後悔することでもなく、

 

『ただ、今日という日に

どんな種をまくか』

 

ということなのかもしれません。

 

 

今日はどんな心を込めて、

何色の種をまきましょう?(^^♪

 

いつの日か、必ず花が咲く。

 

今日も◯◯◯さんが

素晴らしい一日となられますように。

 

いってらっしゃい!

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◆発行者:

本氣の講演家 
コーチカウンセラー養成スクール『UNIVER』
創立者 津田ひろあき


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津田ひろあき

コーチカウンセラー養成スクール『UNIVER』創立者

未来創聖株式会社代表取締役

株式会社ドリームエージェント取締役

公智塾塾長

愛知県人材育成事業講師

国際コーチ協会認定プロコーチ養成インストラクター

ICCF公認コーチカウンセラー

アドラーカウンセラー

非言語コミュニケーションケアリングタッチプロトレーナー

 

 

 【『UNIVER』とは】
コーチング、アドラー心理学、アドレリアンカウンセリング、

コモンモラリティ等の心理学、人間学をベースに

人間の無限の可能性を開き、自他のより良い人生の実現を促す

人材育成&能力開発プログラムであり、

コーチカウンセラー養成スクール。

 

座学と体感ワークをダイナミックに組み合わせながら

一人一人の中に眠る「人生の目的」 や「本当に求めているもの」

の答えを引き出して明らかにし、

内在する才能や能力を高めながら理想とするビジョン

(目的や目標、望む未来)を達成します。

 

より良い人生を生きたい
ビジネスで成果を出したい
職場で良い人間関係を構築したい
子どもたちの可能性を引き出したい
より良い人間関係や家庭生活を構築したい
など個人から組織まであらゆるシーンで活用が出来ます。

 

また、企業向け人財育成プログラム

『D-UNIVER』は社内のES向上や人財育成、

人間関係向上に、全国様々な企業や法人で

成果・実績を上げています。

http://www.univer.life/

 

【講演、研修実績】

◇愛知県庁◇三重県庁◇アスリート日本代表選手

◇少年院◇名古屋市役所◇津市役所◇松阪市役所

◇三重県観光推進事業◇三重県PTA連合会◇松阪市PTA連合会

◇松波総合病院◇掖済会病院◇豊岡青年会議所(JC)

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家具製造業、 医療用機器製造業、繊維業、NPO法人等 多数)

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◇ニートや引きこもりの方の社会復帰支援

◇子育て中のお母さん向け子育て支援講座、勉強会

◇DVや犯罪被害者の方のメンタルサポート

 


【津田ひろあきプロフィール】
元プロミュージシャン。

 

東京を拠点に全国で年間120本近くのライヴを行なう

ロックバンドのリーダー、ボーカリストとして数々のTVやラジオ、

雑誌等のメディアに取り上げられ、アメリカの某ビッグアーティストの

来日公演の前座を務めるなど、500回以上ステージに立ち

メジャーデビューを果たすも父が病に倒れたことを機に

音楽の道を断念して名古屋に帰郷し一般企業に就職。

 

コーチングやアドラー心理学、アドラーカウンセラーに出会って

自分の人生の使命を知り、残りの人生は

誰かの幸せのために尽くして生きると決意。

 

2011年、東日本大震災が起きた数日後に

会社に辞表を出して宮城、福島に渡り、名古屋と往復を続けながら

数年間に渡りボランティアとして復興支援に従事。

 

同年、コーチングスクール入校から僅か11ヶ月で

国際コーチ協会認定プロコーチ養成インストラクター試験に合格

(史上最速)

 

2012年日本コーチングセンター所長に就任

2015年未来創聖株式会社を設立。

 

 
【未来創聖株式会社】

企業研修、講演、セミナー、

プロコーチカウンセラー養成スクール運営、

人財育成コンサル事業、コーチカウンセリング(相談)業務等

 http://www.univer.life/